モーリタニアの思い出:フム・グレイタ

石に生え紅色に咲くバオバブの森を抜け雲母が光る砂色の湖に下りれば黒人の少年が砂地に将棋盤を描いて勝負を挑みたちまちにモールを打ち負かして白い歯を見せて笑う。

 

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モーリタニアの思い出の一つ。この湖はダム湖のフムグレイタのことだ。モーリタニア南部、セネガル河の北部ムンブツ県に位置する。土地の人はウンブツ湖と呼んでいた。ここに貧しい漁民がいて、白モールに奴隷のように搾取されていた。それを助けようと日本が冷凍倉庫や魚の運搬手段を提供する援助事業を始めたのだが、結局は支配階級の白モールが貧民を一層搾取する手助けをするに終わった。そういう事業のために一年半ほどモーリタニアにいたことがある。住んだのは首都のヌアクショットでウンブツには一カ月に二度出張したはずだ。もう十年以上も前の話だ。

モーリタニアのフランスによる植民化は20世紀初頭にはじまった。ずいぶんてこずったが飛行機の投入でようやく平定したのが1943年。独立したのが1960年だから植民地としての歴史はそれほど長くない。植民地化の歴史で有名なのは1905年のコポラーニの暗殺だろう。モーリタニアを交渉で植民地化しようとしたこの西アフリカ植民地のフランス人長官は野営地を急襲されて死ぬ。私はこの暗殺に参加したモーリタニア人の口述記録を読んでいたので、ウンブツ湖のほとりでモール茶を飲みながらモールの青年たちに「君たちの祖先は勇敢だった。強大なフランスの軍事力に対し、少ない武器でよく戦かった」とお世辞を言ったことがあった。すると青年の一人が「コポラーニを殺した男はまだ生きているよ」と教えてくれた。ウンブツに近いところに住んでいるから、会いたいなら案内するよとまで言ってくれたが、あいにく援助事業では勝手に行動することは許されない。したがってコポラーニの暗殺者に会うことはなかった。残念なことをした。

絵:15Fx2 アクリル使用 モロッコ風景